第1章 可塑剤工業会の設立 可塑剤とは塩化ビニル樹脂(以下、塩ビ)に柔軟性を与える添加剤です。軟質塩ビ製品となって電線被覆材や壁紙、床材、バッグ、ガーデンホースなど暮らしの中の様々なところで使われ、役立っています。可塑剤工業会は設立以来半世紀、可塑剤の有用性と安全性を確保するために努めてきました。
1957年〜1970年

1.メーカー13社で可塑剤工業会を設立
1957年

 可塑剤工業会が設立されたのは1957年(昭和32年)6月1日のことです。その前年には経済白書で「もはや戦後ではない」といわれ、高度経済成長期の中でも空前の好景気とされる神武景気(1955-1957年)から岩戸景気(1958-1961年)へと向かう時期の船出でした。
 加盟した可塑剤メーカーは13社(右記)で、事務局は霞が関にあった化学工業会館のプラスチック協会内に置かれました。初代会長は千原末夫<新日本窒素肥料(株)常務取締役>です。
 当時の可塑剤生産量は年間約2万6千トンでしたが、塩ビ工業や石油化学工業の発展とともに、わずか6年後の1963年には10万トンを突破し、40年後のピーク時(1997年)には約57万トンへと20倍以上の成長を遂げることとなります。
 
可塑剤工業会 設立当時の加盟社一覧
(株)大八化学工業所
電気化学工業(株)
江戸川化学工業(株)
花王石鹸(株)
協和発酵工業(株)
モンサント化成(株)
三建化工(株)
酸水素油脂工業(株)
積水化学工業(株)
新日本窒素肥料(株)
東神化学工業(株)
東洋合成化学工業(株)
弥栄化学工業(株)

以上13社、ABC順 社名は当時のもの

可塑剤工業会の設立まで

塩ビ業界団体の可塑剤部会として活動を開始

 可塑剤工業会の前身は、戦後間もない1948年(昭和23年)に発足した塩化ビニール樹脂工業懇話会の中に設置された可塑剤部会です。懇話会は、当時黎明期にあった塩ビ工業の企業化に関心のある法人とともに通産省が結成した官民合同の組織で、事務局は東京・銀座の教文館ビルの中にありました。塩ビ工業や可塑剤工業を含む日本のプラスチック工業は、そこで組織化され、発展の礎を築いていくことになるのです。
 可塑剤部会の初会合が古河電気工業(株)においてもたれたのは1949年3月12日のことです。これが戦後・可塑剤工業としての活動の実質的な第一歩と言えるでしょう。以降積極的に会合が継続され、可塑剤の製造、特性、試験方法、規格などについて検討や共同研究が進められました。
 具体的には、椰子油還元アルコールからのDnOP、BLP、DLPの製造法の研究や海外から輸入したDOP※※サンプルの分析、パイロット段階にあった国産DOPの製造法の研究などが共同で行われました。

塩化ビニール樹脂工業懇話会の可塑剤部会は以下の4人の方が中心となって設置・運営されました。

※※ DOPはフタル酸ジオクチルの総称です。現在わが国では、通常、DOPといえばDEHP(フタル酸ジ-2-エチルヘキシル)を意味します。本冊子では混乱を避けるため、特に環境・安全性問題などで両者の区別を明確にする場合を除いて表記をDOPで統一しています。
≪可塑剤のパイオニア4人衆≫
山田  桜 <川口ゴム工業(株)>
古谷 正之 <古河電気工業(株))>
杉田 辰男 <塩化ビニール樹脂工業懇話会会長・大日本セルロイド(株))>
水谷 久一 <商工省東京工業試験所)>

可塑剤の名称の見方
可塑剤の名称
DnOP フタル酸ジノルマルオクチル
BLP フタル酸ブチルラウリル
DLP フタル酸ジラウリル
DOP フタル酸ジオクチル


可塑剤工業会として独立

 塩化ビニール樹脂工業懇話会は1950年7月にプラスチック協会(現在の日本プラスチック工業連盟)へと発展し、可塑剤部会もプラスチック協会の部会として活動を続けました。
 塩ビの生産が本格化しだした1953年、プラスチック協会から塩ビ樹脂メーカーが独立して塩化ビニール協会(現在の塩ビ工業・環境協会)を設立するなどプラスチック協会の改組が進み、可塑剤部会を構成していた可塑剤メーカーも独立して可塑剤工業会を発足させました。事務局は協和発酵工業(株)内に置きました。
 その4年後、1957年には業界団体として届け出を済ませ、可塑剤工業会が正式に発足したのです。
設立当初の可塑剤工業会組織図

DBP フタル酸ジブチル

初期の可塑剤研究は関西が中心に

 戦後すぐ、可塑剤の工業化が検討されていた当時は、京大、阪大、大阪市大といった関西の大学が塩ビなどの高分子化学の研究をリードしていたため、可塑剤の製造や利用に関する学術的な研究も関西を中心に進められていました。
 関西では1950年2月、近畿化学工業会(現・近畿化学協会)の専門部会の一つとして可塑剤部会が発足しています。後に可塑剤工業会の会員となる可塑剤メーカーのうち、関西に拠点をもつ企業の多くがこの部会に加わっていました。
 事務局は大阪市東区の野村ビルにありました。毎月1回の会合がもたれ、学界の専門研究者と産業界の生産技術者が研究・情報交換に努めました。
 1950年12月1日には、高分子化学協会および日本ゴム協会と共催で『可塑剤に関する研究報告会』を行っています。
 こうした可塑剤研究の成果は高分子化学協会から『可塑剤の研究』上下2巻として1950年に発行され、日本初の可塑剤の専門書として業界の急速な発展の基となりました。
可塑剤工業会が正式に設立して間もない1959-1961年に事務局のあった赤煉瓦ビル(三菱本館)と大槻事務局長

近畿化学工業会の可塑剤部会は、その後、ビニル部会と統合して活動が続いています。また、研究発表会は塩化ビニル討論会として年1回行われています。

2.工業会設立前後の可塑剤工業の概況
戦前〜1960年

戦前〜戦後の可塑剤工業

セルロイド用から塩ビ用へと転換して国産化を推進

 可塑剤工業は、第2次世界大戦まではセルロイド工業とともに発展してきました。セルロイド用の可塑剤として使われていた樟脳は日本が主な産地だったこともあり、戦前日本はセルロイドの生産量世界第1位を誇っていました。
 欧米では樟脳に代わる可塑剤の研究が進められ、日本でも昭和初期にDBPやTCP、DMP、DEPなどをドイツから輸入して使用するほか、順次国産化を進めていきました。昭和10年には(株)大八化学工業所がTCPの初の国産化に成功しています。
 一方、塩ビ用の可塑剤としては、上記の可塑剤などがセルロイド用から転用され、戦時中から一部軍需用の電線被覆材などに使用されていました。1943年(昭和18年)には終戦前の最大生産量DBP263トン/年、TCP202トン/年に至っています。
 戦後、1950年頃から塩ビ樹脂工業が急激に発展したのに伴ってDBP、TCP等よりも性能が優れた可塑剤への関心が高まり、DOPをはじめ各種の多様な可塑剤が研究され製造されるようになっていきます。前述した塩化ビニール樹脂工業懇話会の可塑剤部会が設置され、活躍したのはこの頃です。
戦時中から一部で電線被覆材などに使用

樟脳:クスノキなどの精油の主成分(分子式はC10H16O)。「カンフル」という別名があり、活性化の手段を比喩的に「カンフル剤」というのは、かつて樟脳が強心剤として使われていたことから来ている。現在は血行促進や鎮痛、消炎のための医薬品として使われている。


TCP リン酸トリクレシル
DMP フタル酸ジメチル
DEP フタル酸ジエチル

可塑剤とは
 可塑剤とは、ある材料に柔軟性を与えたり、加工をしやすくするために添加する物質のことです。粘土細工では粘土に水を加えて軟らかくしますが、その場合の水と同じような働きをするのが可塑剤です。可塑剤は現在主に、塩ビを中心としたプラスチックを軟らかくするために用いられ、そのほとんどが酸とアルコールから合成される化合物(一般にエステルといわれるもの)です。常温では一般に無色透明の液体です。
図:塩ビ分子と可塑剤分子
 塩ビは常温では硬い樹脂ですが、それを加熱すると、互いに引きつけ合う力よりも分子の運動量のほうが大きくなり、分子間の距離が広がってきます。つまり、“軟らかく”なるわけです。その状態の時に可塑剤の分子を入り込ませると(右図)塩ビ分子の接近が妨げられ、冷却して常温に戻っても“軟らかい”状態を保つことができるようになります。これが、塩ビを軟らかくする可塑剤の働きです。

DOPの登場

1949年にDOPを生産開始

 可塑剤の原料は酸とアルコールです。この二つを様々に組み合わせることで多様な種類の可塑剤を作り出すことができます。その代表的なものが、「フタル酸エステル」と総称される一群のエステル化合物です。
 フタル酸エステルは塩ビとの相溶性や耐寒性など、塩ビ用の可塑剤に求められる様々な性質をバランスよく備えているため、戦後幅広く使われるようになっていきました。
 フタル酸エステルの中でもDOPの性質が優れていることは、終戦後すぐにアメリカの文献などから知られていました。
 DOPの原料となる無水フタル酸とアルコール(2-エチルヘキサノール)は戦前から国産化が進められていたため、DOPの生産体制は戦後いち早く整えられました。1949年から生産が始まり、1951年にはDBPに代わって生産量第1位の可塑剤となっています。

JISの制定

1955年にJISを制定

 可塑剤の規格に関しては、戦時中すでに日本標準規格として定められていましたが(1940年第405号、1942年第344号)、それらはセルロイド用途が中心でした。戦後、塩ビ用可塑剤の発展に伴い、使用量の増えてきたDOP、DnOP、DBPについて規格を定める必要性が高まってきました。
 可塑剤工業会の前身であるプラスチック協会可塑剤部会は、通産省からの委託を受けて1950年ごろからJISの検討に入りました。1953年には可塑剤部会が独立してできた可塑剤工業会に検討が受け継がれ、1955年5月にフタル酸エステルJISK-6751〜6754として制定されました。このJIS制定により、メーカーは品質の維持・改善や生産の合理化を進めやすくなり、ユーザーである塩ビ製品の製造・加工業者にとっては原料の購買・使用の合理化が図れるようになりました。

1957年

(昭和32)
1月

南極観測隊が南極に初上陸

8月

東海村原子炉で「原子の火」点火

9月

初の国産ロケット「カッパー4C型」の打ち上げ成功

10月

日本が国連の非常任理事国に当選

5,000円札発行

ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功

12月

100円硬貨発行


1958年

(昭和33)
1月 欧州共同体(EEC)発足
4月 巨人軍・長嶋茂雄選手、デビュー戦で4打席4三振
写真提供=共同通信社
8月 初の即席ラーメン発売
9月 日本初の缶ビール発売
12月 1万円札(聖徳太子)発行
東京タワー完成

1959年

(昭和34)

1月

メートル法施行

3月 週刊少年マガジン、サンデー創刊
4月 皇太子明仁親王(今上天皇)美智子様とご成婚。ミッチーブーム
9月 小沢征爾氏が国際指揮者コンクールで第1位に
伊勢湾台風、死者不明5,101人

1960年

(昭和35)
2月 浩宮徳仁親王(現皇太子)ご誕生
5月 「安保反対」で10万人の国会請願デモ
9月 カラーテレビ本放送始まる
10月 社会党委員長・浅沼稲次郎氏刺殺
12月 ベトナム戦争始まる
池田首相、所得倍増計画を発表

各種可塑剤の開発

1950年代には主な可塑剤が出揃い生産量も急増

 可塑剤工業会の母体となった塩化ビニール樹脂工業懇話会がプラスチック協会へと発展した1950年ごろから塩ビの生産が軌道に乗る一方、アメリカから様々な可塑剤についての情報やサンプルが入ってくるようになりました。そして、塩ビの幅広い用途ごとに求められる多様な性能を満たすためには、DOPだけでなく様々な種類の可塑剤が必要なことや、一種類の可塑剤で対応できない場合にはそれぞれに特長を持った可塑剤を配合すると、いろいろな用途に使用できることが分かってきました。
 その後10年ほどの間に、加工性の良いBBPなどの「フタル酸エステル」のほか、耐寒性を持ったDOA、DIDAなどの「アジピン酸エステル」や難燃性の高い「塩素化パラフィン」、安定剤の効果もある「エポキシ化大豆油」、移行性の小さい「ポリエステル系可塑剤」など、現在出荷されている可塑剤の大半がメーカー各社によって開発・製造されました。
 1950年代には可塑剤の生産量はDOPを中心に大幅に伸びていくこととなります。
塩ビ製品の良さを広く知ってもらうため、1950年代、百貨店などで展示会がよく行われた。
(3大メーカー・ビニール展,1953年/S.28)

BBP

フタル酸ブチルベンジル

DOA アジピン酸ジオクチル
DIDA アジピン酸ジイソデシル

可塑剤生産量推移(1950〜1970年) (出所:化学工業統計年報)

原料アルコールの製造法の変遷

製造法の進歩で原料アルコールの
 大量供給が可能に

 DOPの原料となるアルコールについては、当初1949年(昭和24年)には、花王石鹸(株)〈現・花王(株)〉と第一工業製薬(株)が、椰子油から「還元法」によりn−オクタノールを製造していました。
 同年10月には、協和発酵工業(株)が、発酵により得られたブタノールから2−エチルヘキサノールを製造する「発酵法」をスタートさせました。
 一方、1950年に、アセチレンからブチルアルデヒドを経て2−エチルヘキサノールを製造する「合成法」が、三建化工(株)と新日本窒素肥料(株)(現・チッソ(株))で開始されました。
 その後、1957年頃から石油化学工業の発展が始まり、1960年以降、各社で石油化学による2−エチルヘキサノールとその他の原料アルコールの大量生産が行われるようになりました。

用途の多様化

フィルム、レザーから農ビにまで
拡大

 塩ビ製品は可塑剤を使った「軟質塩ビ」と使わない「硬質塩ビ」に分けられますが、戦後の用途拡大は軟質塩ビ、いわゆる“ビニール”が中心となりました。
 1947年に一般用フィルム、1949年には塩ビレザーなど、軟質塩ビ製品の工業化が続きました。フィルムやレザーは、ベルト、レインコート、時計バンド、鞄、ハンドバッグ、履き物(ケミカルシューズ)、椅子、ソファーなど、ファッション、日用品、雑貨の分野で広く使われるようになりました。
 電線被覆材としては第二次大戦中から使われていましたが、戦後、1950年から塩ビ被覆電線の本格的な工業化が始まりました。
 1951年には農業用ビニールフィルム(農ビ)の研究も始まり、1953年には水稲の苗代に初めて利用されて米穀の収穫量が3割も増収したという成果がありました。


石油化学工業:石油を原料とし、化学反応を利用して合成樹脂や合成繊維、薬品な ど様々な化学製品を作る工業。大規模な設備を使った大量生産が可能。

1961年

(昭和36)

1月

米国ジョン・F・ケネディ大統領が就任

4月

ソ連がガガーリン氏を乗せ、世界初の有人衛星船打ち上げに成功

8月

ルリンに東西の壁が出現

10月

大鵬関、柏戸関が同時横綱昇進


1962年

(昭和37)
2月

東京都の常住人口が1,000万人を突破。世界最大の都市に。

7月

堀江謙一氏が小型ヨットで太平洋横断に成功

9月

初の国産電子複写機完成

10月

ビートルズがデビュー

10月

キューバ危機勃発

11月

戦後初の赤字国債発行を決定


1963年

(昭和38)
1月

アニメ「鉄腕アトム」登場

3月

吉展ちゃん誘拐殺人事件が発生

6月

黒部川第4ダム完成

11月

新千円札(伊藤博文)発行

ケネディ大統領、ダラスで暗殺される


1964年

(昭和39)
3月

シャープとソニーが電子式卓上計算機を完成

経済協力開発機構に加盟

4月

海外旅行の自由化

6月

新潟地震(M7.5)発生

10月

東海道新幹線が開通、「ひかり」「こだま」登場

東京オリンピック大会開催


初期の農ビ使用風景

3.ポジティブリストの作成に積極的に参画
1967年

背景

食品容器・包装や医療用器具では、より高い安全性が必要に

 可塑剤は“軟らかい”塩ビ製品には欠かせない添加剤として1950年代から1960年代にかけて順調に生産量を延ばし、1963年には可塑剤全体の生産量が10万トンを突破するまでに成長しました。
 一方で、日常の暮らしに身近なところで大量に使われる素材であるため、可塑剤の安全性については上市された当初(1940年代)から極めて多くの研究が行われてきました。
 生産量の多いDOPなどのフタル酸エステルを中心として、様々なチェック事項について詳細に調べられ、1960年代中頃の時点で安全性に問題はないことが確認されていました。
 しかし、可塑剤を使った軟質塩ビは、ファッション・日用品・雑貨だけでなく、食品の容器・包装や医療用器具などとしても広く使われるようになってきたことから、さらなる安全性を確保するための取り組みが求められていました。

安全性の主なチェック事項:急性毒性、亜急性および慢性毒性、催奇形性、世代試験・生殖毒性、発ガン性、皮膚刺激および皮膚吸収による毒性、動物の体内での代謝速度、血液中の挙動等

軟質塩ビ製食品ラップフィルム
軟質塩ビを使った医療用器具(透析装置)

塩ビ食品衛生協議会(以下、塩食協)の設立

ポジティブリストを制定するため、塩ビ関連企業が結集

 欧米諸国では、食品の容器包装用途での可塑剤について、溶出量が制限されているほか、安全に使用できる可塑剤の種類を列挙したポジティブリスト(PL)が定められています。
 日本においては、従来は食品衛生法の規定に基づいた厚生省告示(第434号)によって軟質塩ビの規格が定められてきました。そして1967年6月、さらなる安全性確保のため、厚生省の指導のもとで諸外国を参考にしたポジティブリストを業界自主規格として定めることとなり、関連企業が会員となって塩食協が設立されました。可塑剤工業会会員企業各社もこれに積極的に加入、協力したほか、可塑剤工業会においても、この問題に対応するため塩ビ食品添加剤委員会を同年10月に設置しました。
可塑剤工業会組織図(1967年10月)

ポジティブリスト(PL規格)の制定

使用可能な物質や品質規格を規定

 可塑剤工業会の会員企業は、塩食協の会員としてポジティブリストを制定するため、1967年より各国の規制、安全性に関する内外の文献の収集、調査等に取り組みました。また、各社で行われている安全性研究等の資料を提供するなど協力を進めました。
 1968年には塩食協主管の厚生科学研究で、軟質塩ビからの可塑剤の移行についての実験を工業会の各社で分担して行うため、塩食協分析委員会へ委員を派遣して研究に当たりました。翌年には研究が終了し、その成果をPL規格作成の重要参考資料として提出しました。
 1969年7月には、食品関連に限らず広く安全性や技術問題全般に対処するため、塩ビ食品添加剤委員会を発展させて技術部会とし、理事会の直属機関としました(1970年には技術委員会に改称)。
 1970年7月、塩食協による業界自主規格、いわゆるPL規格が制定されました。PL規格は材質試験法とポジティブリストで構成されます。DOPをはじめとしたフタル酸エステルやアジピン酸エステルなど主な可塑剤は食品用途においても安全であることが確かめられ、ポジティブリストに掲載されました。

各国のポジティブリストにおける主な可塑剤の記載(2007年6月現在)
欧州では各国で多少のばらつきが見られますが、今後、EU加盟国はEUの 規制に合わせていくものと思われます。

1965年

(昭和40)
2月

米軍、北ベトナムに爆撃開始

10月

朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受賞

11月

プロ野球でドラフト会議始まる

新南極観測船ふじ、東京港出港

ニューヨーク大停電


1966年

(昭和41)
3月

日本の総人口一億人突破化

6月 「建国記念の日」「敬老の日」 「体育の日」制定
ビートルズ来日
写真提供=共同通信社
8月 中国、文化大革命が激化

1967年 (昭和42)
6月

第3次中東戦争、スエズ運河閉鎖

7月

欧州共同体(EC)発足

10月

ラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」開始

12月

東京都電が荒川線以外廃止


1968年

(昭和43)
1月 OPEC発足
2月 成田空港反対闘争始まる
4月 初の超高層ビル霞が関ビル完成
7月 郵便番号制度スタート
週刊少年ジャンプ創刊
8月 ソ連、東欧5カ国、チェコ侵入
10月 メキシコオリンピック開催
川端康成氏ノーベル文学賞受賞
ニクソン氏、米大統領に当選
北ベトナム爆撃を中止
12月 3億円強奪事件発

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