環境・安全性問題

1972年、フタル酸エステルの環境・安全性について初めて大きな問題が発生しました。PCBのように分解しないで残留し、環境を汚しているのではないかという疑問が提示されたのです。6年にわたる調査・研究の結果、その安全性が確かめられ、1978年には大阪府が安全宣言を出しています。

1972年〜1978年


1.多摩川などでフタル酸エステルが検出され問題に


1972年

発端

環境を汚しているのではないかとの指摘

 1972年6月、多摩川などの河川からフタル酸エステルのDBPが検出され、環境中で容易に分解せず残留してしまう新たな環境汚染物質ではないかという報道がなされました。“第2のPCB”などとして、新聞や雑誌で大きく取り上げられたのです。
 フタル酸エステルは1940年代から世界中で幅広く、安全に使われてきた実績があります。その安全性については数多くの研究の積み重ねによって確認されていました(P38参照)。しかし、この問題で指摘されているいくつかの点(環境中での分解性や生物の体内での代謝など)についてはデータが揃っていない部分もあり、可塑剤工業会では早急に調査・研究に着手しました。
 ヒトに対する安全性だけでなく、環境や生態系への影響なども指摘されているため、安全性の確保に向けた多様な取り組みが必要でした。

PCB(ポリ塩化ビフェニル):1968年に西日本一帯で発生した『カネミ油症事件』は、皮膚に黒いニキビ様の発疹が出るもので、誤って米ぬか油に混入したPCBが原因物質でした。難分解性で環境中に残留し、生体に蓄積され、毒性が強い物質です。1972年に製造・使用が中止となっています。


米国における問題の発端と日米の取り組み

ラットの肝臓で分解されず蓄積性に疑問

 そもそもの発端は、米国における一つの報告でした。1970年、ジョンズホプキンス大学においてRubinらが試験管内の試験でラットの肝臓への血液循環実験を行っている際に、軟質塩ビのチューブからフタル酸エステルのDEHP※※が溶出することを確認し、さらにそれがラットの肝臓で代謝・分解されなかったと発表1)※※※したことから、フタル酸エステルが難分解で蓄積性のある環境汚染物質ではないかとして、米国で大きな問題となりました。
 さらに、当時ベトナム戦争で負傷して輸血を受けた兵士がショック肺※※※※で死亡するという事故があり、血液バッグに使われているフタル酸エステルがその原因ではないかと憶測されるなどしてセンセーショナルな話題となりました。
※※

DOPはフタル酸ジオクチルの総称ですが、現在わが国では、通常、DOPといえばDEHP(フタル酸ジ-2-エチルヘキシル)を意味します。本冊子では混乱を避けるため、特に環境・安全性問題などで両者の区別を明確にする場合にはDEHPと表記し、その他はDOPで統一しています。

※※※

代謝に関しては、2年後の1972年、同じくRubinらがラットを使った生体内試験でフタル酸エステルが速やかに代謝・排泄されることを確かめて発表しています2)。

※※※※ ショック肺:様々な原因で肺がショック状態となり、急性の呼吸困難、重症の低酸素血症、肺損傷などが起きる症候群。メカニズムは不明。
ベトナム戦争での輸血患者のショック肺は、その後、小さな血の固まり(血餅)による肺毛細血管の塞栓であったことが明らかになっています。
CMA(Chemical Manufactures Association):米国化学品製造者協会。2000年よりACC(The American ChemistryCouncil)に名称変更
NIEHS(National Institute of Environmental Health Science):米国国立環境衛生科学研究所

米国は総合的な取り組みを開始

 問題が先行していた米国では、1972年2月、可塑剤メーカーを含む化学メーカーの団体であるCMA*がフタル酸エステル委員会を設置し、同年11月には総合的な研究プログラムをスタートさせました。
 一方、研究機関では、NIEHS*が1972年11月にフタル酸エステルの安全性、代謝、環境問題などについて研究発表を行う会議を開き、翌年1月にはそれをまとめた論文集3)を発行しました。
 業界技術者の団体であるSPE*は1973年に軟質塩ビとヒトの安全性に関する会議を行い、研究発表をテクニカル・ペーパーとしてまとめ、発行しています4)。
 行政機関のFDA*では1972年に、それまでの知見をまとめて公表したほか5)、食品中や魚類中のフタル酸エステルについて広範囲に調査・分析し、1974年にはその結果を報告しました6)7)。食品中や魚類中にDEHPやDBPが極微量検出されるものの、その頻度とレベルは“消費者に何ら害を及ぼすものではない”とされています。

日本の行政も早急に対処

 日本では、問題が提起されるとすぐ、1972年8月に厚生省が研究班(班長:大場琢磨/国立衛生試験所〈現・国立医薬品食品衛生研究所〉)を作り、DEHPのヒトへの健康影響について総合的な調査研究を開始しました。その研究結果は3年後の1975年に発表され、“医療用器具に使われるDEHPが有害であるとする証拠は現在のところない”との結論でした8)。
 通産省では1974年、(財)化学品検査協会化学品安全センター〈現・(財)化学物質評価研究機構〉で微生物による分解性および魚介類の体内における濃縮性試験を行い、翌1975年に結果をまとめています。フタル酸エステルは微生物によって容易に分解され、生物濃縮性も低いことが明らかにされました9)。

 また、環境庁(現・環境省)では1974年、各都道府県に委託して環境調査(水質、底質、魚介類、雨水、水生生物などにおける分布等)を行っています。フタル酸エステルは環境中で検出されることもありますが、魚介類への濃縮は、有機塩素系農薬などと比べて著しく低いという結果でした10)。

1969年        

(昭和44)
1月

東大紛争、安田講堂封鎖解除

5月

東名高速道路が全線開通

7月

アポロ11号、月面着陸

8月

米国でウッドストック・フェスティバルに若者40万人が参加

11月

金田正一投手が通産400勝達成

佐藤ニクソン会談、沖縄返還で共同声明


1970年

(昭和45)
1月 第三次佐藤内閣発足
3月 八幡製鉄と富士製鉄が合併、新日本製鐵が誕生
日本万国博覧会(大阪万博)開幕
よど号ハイジャック事件発生
6月 日米安保条約、自動延長
7月 いざなぎ景気57ヶ月で終わる
11月 三島由紀夫割腹自殺

1971年 (昭和46)
2月

ペルシャ湾岸6カ国とメジャーが協定に調印、原油公示価格値上げ

6月 沖縄返還協定調印
7月 マクドナルド日本1号店オープン
8月 ニクソン・ショック(アメリカが金とドルの交換を停止)
9月 カップヌードル発売開始
10月 第一銀行と日本勧業銀行が合併して第一勧業銀行が誕生
12月 スミソニアン協定、多国間通貨調整で円を16.8%切り上げ1ドル308円へ

1972年

(昭和47)
1月 日米繊維協定に調印
グアム島で横井庄一氏発見される
2月 札幌で冬季オリンピック開催
連合赤軍あさま山荘事件
ニクソン大統領訪中
3月 全農発足
5月 政府、初の環境白書を発表
沖縄が返還され沖縄県発足
6月 田中角栄通産相、日本列島改造論を発表
7月 第一次田中内閣成立
9月 日中国交正常化の共同声明
SPE(Society of Petroleum Engineers):石油技術者協会
FDA(Food and Drug Administration):米国食品医薬品局

2.環境調査や各種の安全性試験を直ちに実施
1972年〜

可塑剤工業会の取り組み

不足データの補完に努める

●1972年6月
 問題発生後、可塑剤工業会では直ちに技術委員会を招集しました。5月に可塑剤工業会会長に就任したばかりの榎本徹次〈三菱瓦斯化学(株)専務取締役〉陣頭指揮のもとで対応方針を検討し、まず、現状を把握するため、それまでに収集した資料、文献等を再調査しました。
 それまでに判明していた安全性に関する情報と、自主規制を含めた使用状況を考え合わせ、通常の使用においてフタル酸エステルの安全性には問題はないとする初期段階での統一見解をまとめました。
●1972年7月
 しかし、環境への影響の点で、フタル酸エステルは環境中で分解するのかどうかという微生物分解性のデータが不十分であったため、たくさんの種類のフタル酸エステルについて試験を開始しました。試験は専門機関である環境技術研究所に委託し、同年7月から翌年3月にかけて行われました。その結果(右表)、フタル酸エステルは微生物によって速やかに分解されることがわかり、少なくとも難分解性の環境汚染物質ではないことが明らかになりました。
●1972年8月
 連携して問題解決に当たっている塩ビ食品衛生協議会には、工業会の会員各社から分析委員が出向いて活動していました。当時、微量のフタル酸エステルの分析法が確立されておらず、環境問題の焦点として分析の重要度が増してきたため、工業会内にも分析委員会を設置して検討を開始しました。
 また、この時期に国立衛生試験所を中心とする厚生省(現・厚生労働省)のフタル酸エステル研究班が発足し、可塑剤工業会では技術委員会が資料、文献を提供するなど、積極的な協力を始めました。
可塑剤の微生物分解性
◎微生物によって分解されるかどうかを、船橋市下水処理場の活性汚泥を使い、JISに定められた生分解性試験の方法(K-3363)に則った試験で調べた。
品目 初濃度
(ppm)
分解率(%)
7日 8日 14日
DMP 10.0 100 100 -
DBP 10.0 100 100 -
97 100 -
DHP 8.8 100 100 -
710P 7.5 100 100 -
610P 8.4 100 100 -
DEHP 9.3 96 99 -
100 100 -
DNP 7.3 38 62 78
58 64 -
DIDP 7.9 52 70 -
54 68 68
DUP 8.6 90 93 -
- 85 89
DTDP 7.6 53 53 -
- 36 40
BBP 9.7 100 100 -
BPBG 9.2 99 99 -
100 100 -
TOTM 9.5 39 45 -
DOA 8.6 82 100 -
DIDA 8.4 100 100 -
TCP 8.8 100 100 -
2-エチルヘキサノール 95 100 -
フタル酸 100 100 -
(環境技術研究所1973年)

DHP フタル酸ジヘプチル
710P フタル酸混基エステルC7-C10
610P フタル酸混基エステルC6-C10
DNP フタル酸ジノニル
DIDP フタル酸ジイソデシル
DUP フタル酸ジウンデシル
DTDP フタル酸ジトリデシル
TOTM トリメリット酸トリ-2-エチルヘキシル


●1972年9月
 国立衛生試験所、塩ビ食品衛生協議会と共同で、食品への溶出・移行に関する厚生科学研究をスタートしました。その結果、油脂に対しては溶出・移行が見られたため、軟質塩ビは油脂の包装には好ましくないが、水や酸性水溶液などへの溶出は極めて少ないことが確認されました11)。
●1973年2月
 魚類への影響を調べるため、富山県水産試験所にヒメダカに対するフタル酸エステルの急性毒性試験を依頼しました。半数致死濃度(TLm)を求め、フタル酸エステルの魚に対する急性毒性は高くない(飽和溶解度でもTLmに至らなかった)ことを確認しました12)。
●1973年3月
 フタル酸エステルの環境・安全性問題により効果的に対処していくため、可塑剤工業会に広報委員会を設置しました。文献集『フタル酸エステル(PAE)の安全性に関する質問解答集』の編集を開始しました(第1集は1974年4月に発行。第2集は1977年1月に発行しています)。
●1973年4月
 環境中にどの程度存在しているのかを明らかにするため、可塑剤工業会分析委員会では全国13水域の海水、河川水での環境モニタリング調査を5カ年の予定で始めました。(結果はP31参照)
●1973年6月
 前述の米国で行われたNIEHSとSPEによる会議の論文集を入手し、塩ビ食品衛生協議会と共同で翻訳し発行しました。
 また、海外の情報を直接入手するため、可塑剤工業会広報委員会の下村国夫副委員長〈協和発酵工業(株)〉が渡米し、大学、研究機関や行政、メーカーなどを訪問して多くの知見を得ました。中でも、当時すでに米国ではフタル酸エステルの安全性問題は終息に向かっていたという情報が貴重でした。
●1973年7月
 魚類への影響を、ヒメダカより大きいニジマスを使って調べるため、東京水産大学(現・東京海洋大学)にDBPの急性毒性試験を依頼しました。半数致死濃度(TLm)は20ppm以上となり、毒性が高くないことを確認しました13)。

1973年

(昭和48)
1月

拡大EC発足

ベトナム和平協定調印

5月

資本自由化実施、原則100%

8月

金大中事件

10月

第4次中東戦争により第1次石油ショック

巨人がV9達成
11月 トイレットペーパー、洗剤などの買い占め起こる
江崎玲於奈氏ノーベル賞授賞
12月 公定歩合9%へ引上げ

1974年

(昭和49)
3月

ルバング島で小野田寛郎氏発見

5月 政府、産業用電力料金平均74%の値上げを認可
堀江謙一氏ヨットで世界一周
8月 ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任しフォード大統領就任
三菱重工爆破事件
10月 「宇宙戦艦ヤマト」放送開始

佐藤前首相、ノーベル平和賞授賞

巨人の長嶋茂雄選手が引退
12月 田中首相が金脈問題で辞任し三木武夫内閣成立

1975年 (昭和50)
2月

企業倒産が過去最高となり失業者が100万人を超える

政府、第一次不況対策を決定

3月

山陽新幹線が全線開通し、東京と博多間が直通運転に

4月

ベトナム戦争終結

5月 エリザベス女王夫妻が来日
東京で世界石油会議
6月 49年度GNP戦後初のマイナス成長と発表。
7月 「沖縄国際海洋博覧会」開催
9月 天皇、皇后両陛下が初のアメリカ訪問
11月 第1回主要国首脳会議を仏で開催
宝塚「ベルサイユのバラ」ヒット
12月 「石油コンビナート等災害防止法」成立

PAE:Phthalic Acid Ester=フタル酸エステル

●1973年9月
 貝類を用いて環境への影響を調べるため東海区水産研究所にアサリに対するフタル酸エステルの急性毒性試験を依頼しました。DEHP、DBPの半数致死濃度(TLm)は80ppm以上でアサリは死なず、毒性が高くないことを確認しました。
●1974年7月
 魚類への影響をさらに詳細に研究するため、コイを使って体内でのDEHPの分布、代謝、排出を調べる試験を東京水産大学に依頼しました。その結果、魚類の体内では、DEHPは肝臓で容易に代謝され、腸管を経て速やかに(24時間以内には)体外に排出されることを確かめています14)。
●1974年9月
 フタル酸エステルの生分解性試験を、複数の工業会会員企業や研究所において化審法に定められた方法で実施しました。いずれも分解性が良好であることを確認しました。
●1974年12月
 食品類似溶液を用い、市販の軟質塩ビ製食品包装フィルムからの可塑剤の溶出試験を環境科学センターに委託しました。食品への溶出、移行の度合いを明らかにしました。
●1974年12月
 DEHPの繁殖への影響や慢性毒性、催奇形性などを調べるため、ラットを使った3世代繁殖試験を米国BIO-TEST社に委託しました。
●1975年2月
 可塑剤工業会の広報委員会を環境委員会に改称するとともに関西環境委員会を設置しました。
可塑剤工業会組織図(1975年2月)

化審法:化学物質の審査および製造等の規則に関する法律


DEHPを投与したラットの3世代にわたる繁殖実験

●試験期間:1975年5月〜1977年1月
●試験機関:米国BIO-TEST社
●投与量:餌中150、500、1,500(ppm)
     および対照群
●試験目的
 親ラットおよび連続した3世代の新生仔に及ぼすDEHPの影響(発生、成長、繁殖力等)を調べる。世代を越えた長期投与によって、繁殖関係の影響だけでなく慢性毒性や催奇形性、突然変異性なども調べる。
●試験結果:
■繁殖状況については、親ラットおよび第1代目において、1,500ppmの投与群で対照群と比較して交配率の低下が観察されたが、交配、受精率、受胎率、出産率には特筆すべき差は認められなかった。
■繁殖状況以外では、投与群と対照群の間で、有意な体重の増加あるいは減少が見られたほかは、親ラットおよび3世代の新生仔のすべてにおいて特筆すべき異常は認められなかった。

13水域環境モニタリング5カ年計画

5年間にわたる環境濃度調査の結果、増加の傾向は示していませんでした。
【フタル酸エステル(DEHP、DBP)の環境濃度調査】
調査場所
都道府県 水域名 採水地点 No.
東京都 多摩川 二子橋上流 1
二子橋下流 2
千葉県 利根川 芽吹橋上流 3
芽吹橋下流 4
東京湾 富津岬北側 5
富津岬南側 6
愛知県 名古屋港 潮見橋 7
木曽川 東海大橋 8
尾張大橋 9
庄内川 新川中橋 10
前田橋 11
三重県 鈴鹿川 関町 12
庄野橋 13
高岡橋 14
四日市港 第1地点 15
第2地点 16
和歌山県 紀ノ川 田井ノ瀬橋 17
六十谷橋 18
京都府 宇治川 観月橋 19
大阪府 大和川 中谷付近 20
府県境 21
大和川大橋 22
岡山県 水島海域 水島港入口 23
呼松港内 24
六口島付近 25
水島港内 26
高梁川 酒津付近 27

測定期間 1973年(昭和48年)〜1977年(昭和52年)
測定回数 計8回(1973年春、1974年秋、1975年春+秋、1976年春+秋、1977年春+秋)
測定箇所 全国8都府県、13水域、27地点
調査方法 5年間(8回)にわたる定点観測
調査結果
延べ206箇所の調査のうち約半数(DBPで113箇所、DEHPで 99箇所)が検出限界(0.001mg/L)以下でした。
残りの検出例も、おおむね0.001〜0.004mg/Lとわずかな量であり、5年間にわたって調べても増加の傾向は示さず、むしろ減少していました。


3.大阪府がDEHPの安全を宣言して問題は終息へ


1978年

工業会によるPR活動

専門家だけでなく広く消費者に向けて情報を発信

 1970年代に日米の産官学や消費者をも巻き込んで大きな騒ぎとなったフタル酸エステルの環境・安全性問題をとおして、可塑剤工業会ではPRの大切さを学びました。
 後に起こる環境ホルモン問題でもそうですが、環境問題ではイメージが先行することが多く、問題発生当初にフタル酸エステルに貼られた“第2のPCB”や“環境汚染物質”といったレッテルをはがすためには大変な手間と労力が必要とされたのです。
 問題解決には、調査・研究によって事実を積み上げるだけでなく、“安全です”という情報をいかに効果的に発信していくのかということが大事になってきます。
 可塑剤工業会では、まず、安全に関する情報を収集・分析・整理し、研究者や専門家に向けて発信していくため、文献集『フタル酸エステル(PAE)の安全性に関する質問解答集』を作成しました(第1集1974年4月、第2集1977年1月)。
 また、専門家だけでなく一般の消費者にもフタル酸エステルの安全性について理解を得るため、1975年3月にはパンフレット『生活の中の科学−フタル酸エステルとは』(B5判・36P)を作成し、広く消費者に向けて配布しました。これは、可塑剤工業会による消費者に向けた初めての積極的PR活動となります。パンフレットの中では、フタル酸エステルの必要性や安全性をなるべく分かりやすく説明し、消費者の方々の疑問や不安に科学的に応えるような内容となっています。
 また、安全性の情報が整ってきたことを受けて見解書『フタル酸エステルの安全性について』(1976年7月)、『可塑剤TCP(リン酸トリクレジル)の安全性について』(1976年7月)、『作業環境中のフタル酸エステル濃度測定指針』(1977年6月)、『エポキシ化大豆油の安全性について』(1979年1月)、『DOA(アジピン酸ジオクチル)の安全性について』(1979年5月)といった小冊子を作成し、関係先に配布するなどして安全性のPRに活用しました。
 こうしたことを教訓として、すぐ後に起こった発ガン性問題(1980年〜)では、メディアやオピニオンリーダー、消費者の方々と良好な関係を築く窓口として工業会に広報ワーキンググループを設置して対応することになります。


世の中の動き

公的機関が安全を宣言

 フタル酸エステルの環境・安全性問題では、時期的にPCBなど他の公害問題と重なっていたこともあり、国や自治体などでも積極的に実態の把握と真相の究明に向けた取り組みを行っていました。
 中でも大阪府は積極的で、フタル酸エステルの環境・安全性に関する独自の調査・研究も多数行い、知見の蓄積に大きな役割を果たしました。
 そして1978年(昭和53年)2月21日、大阪府衛生部がフタル酸エステルの安全宣言を出しました。「フタル酸エステルは生体が吸収しても排泄がよくて蓄積されず、現状では健康に特別の支障はないと考えられる」と発表したのです。
 公的な機関による安全宣言の効果は大きく、問題発生から6年の歳月がかかりましたが、ようやく終息を迎えることとなります。

1976年

(昭和51)
1月

国内初の五つ子が鹿児島で誕生

2月

米国でロッキード事件が表面化

6月

新自由クラブ結成

7月

田中前首相、ロッキード事件で逮捕

ヴァイキング1号火星着陸

モントリオールオリンピック
9月 毛沢東主席が死去
10月 中国で江青女史ら四人組が追放
12月 福田赳夫内閣成立

1977年

(昭和52)
1月

青酸入りコーラ無差別殺人事件

米国カーター大統領就任
5月 領海12海里法・漁業水域200海里暫定処理法成立
6月 「独占禁止法改正」公布
8月 北海道洞爺湖畔の有珠山が噴火
9月 王貞治選手756号ホームランを達成し国民栄誉賞を受賞

日本赤軍ダッカハイジャック事件

10月 伊藤忠商事、安宅産業を吸収合併

1978年 (昭和53)
4月

池袋「サンシャイン60」完成

5月

成田の新東京国際空港が開港

植村直己氏が単独で北極点到達

7月

農林省が農林水産省に改称

隅田川花火復活
8月 日中平和友好条約調印
12月 大平正芳内閣発足

1979年

(昭和54)
1月

米中国交回復

初の国立大学共通一次試験

第2次石油ショック

2月

イラン革命

3月 電話ダイヤル全国自動化
米スリーマイル島で原発事故
5月 英国サッチャー首相就任
7月 ソニーが「ウォークマン」を発売
12月 東洋工業、米フォードと資本提携
韓国でクーデター、全斗煥保安司令官が軍の実権を掌握
ソ連、アフガニスタン侵攻

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