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「フタル酸エステル類の世界の規制動向、その対応と今後の展望」

 

「フタル酸エステル類の世界の規制動向、その対応と今後の展望」

1.はじめに
フタル酸エステル、特にDOP(以下DEHP[ジー(2エチルへキシル)フタレート]と記す)はその特性である
①絶縁性、②難燃性、③耐候性、④コスト等から塩ビ(PVC)用可塑剤として電線被覆材等に50年以上の使用実績がある。
一方、世界の化学物質規制の潮流は、昨年(2012年)20周年(リオ+20)の節目を迎えた、リオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)を端緒として、世界各国でこの方針に沿って着々と法制化等が進捗している。この一環として、欧州ではREACH規制が施行され、DEHP等フタレートの一部が認可対象物質となった。
ほぼ同時期にデンマークから同じフタレートの製造・輸入・使用を禁止する制限案が提出された。我々、日本可塑剤工業会(JPIA)はこの提案に対し深刻な危機感を以て取組み活動した。この結果、欧州内は勿論、世界的な反対表明を受け、ほぼこの提案を阻止できる見通しとなった。
本稿は2012年10月9日に開催されたJECTECセミナーで講演した上記内容に最新情報も加味し報告する。

2.化学物質管理制度の世界的潮流
1992年地球サミットで地球環境問題解決を目的とした「アジェンダ21」が採択され、2002年ヨハネスブルグでの世界首脳会議でWSSD2020年目標「2020年までに化学物質の製造と使用による健康、環境への悪影響を最小化する」が計画され、2006年ドバイで国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ(SAICM)の行動指針に取り込まれた。これに伴い世界各国が具体的法対応を実施した。日本での化審法改正、欧州でのREACH施行がその代表例である。
化学物質規制の新しい視点は①規制対象を化学物質全般とする、②安全性評価をハザード(有害性)からリスクへ重点化、③サプライチエーン(SC)間の情報の共有化、④開発段階から製造・消費・廃棄・リサイクル全体にわたるライフサイクルアセスメント(LCA)の構築が挙げられる。この中でも、最も注目される点はリスクベースでの評価で、従来の単なる毒性等の危険・有害性だけではなく、ヒトや環境がその物質にどれだけ曝されるか(暴露量)も合わせ評価することが、より現実を反映した評価になったことにある。
暴露には①職業暴露、②環境(経由)暴露、③製品経由消費者暴露があり、日常生活を通じ体内へ取り込まれる量の見極めが重要になる。

3.フタル酸エステルの種類と日本の需要動向
PVCに使用される可塑剤は①フタル酸系、②アジピン酸系、③リン酸系、④エポキシ系等がありフタル酸系が約76%。その中でも約62%がDEHPである。
フタル酸系可塑剤の販売推移は図1に示すように、1999年頃ダイオキシン問題を契機に減少傾向となり、2009年のリーマンショック後その反動で一時増加に転じたが2011年東日本大震災を経てようやく下げ止まりの兆しが見えてきた。

図1 フタレートの販売実績推移

DEHPの用途は図2に示すように床材、一般フィルム/シート、壁紙、電線、農ビ用が多い。電線用はコンパウンドも含め需要の約17%を占めている。

図2 DEHPの用途別需要(2011年)

フタル酸エステル類は化学構造的に非常に似た物質が多く、規制対象物質の特定にしばしば混乱を招いている。基本的にはフタル酸と各種アルコールのエステルであるが、図3に示すようにフタル酸の異性体(o,m,p)やアルコールの炭素数、分岐度、単品/混合等の違いで非常に多くの物質群に分類されるが、実際使用されているものはDEHP、DINP、DIDP、DBP等必ずしも多くない。

図3 フタル酸エステル系可塑剤

4.フタル酸エステルのリスク評価と規制
日米欧では既にDEHPのリスク評価を終えている。日本では産業総合研究所が2008年に、米国ではNTP-CERHR(米国毒性プログラムーのヒト生殖リスク評価センター)が2006年に、欧州ではEU-RAR(欧州リスク評価報告書)が2008年に各々評価し、その時点で現状以上の更なる規制は必要ないと結論付けている。
現在世界で実施されているフタル酸エステル規制は、ほぼ玩具や育児用品及び油性食品用包装材料用途に限定さていれる。その目的は予防原則によるものが多い。

5.欧州のフタレート系化学物質規制
(1)REACH
REACHはSAICMの一環として欧州で施行された
登録(Registration)、評価(Evaluation)、認可(Authorisation)、及び制限(Restriction)に関する欧州規則(Regulation)
であり、これまでの指令(Directive)と異なり欧州全加盟国を律する法令である。この法令は従来と異なった規制概念が含まれている。すなわち、①既存化学物質を含め全ての化学物質に登録が義務付けられている、②登録に際し、同一物質届出者はデータを共有し(物質情報交換フォーラム:SIEF)、共同提出が原則である、③予防原則(Precautionary Principle)の導入、④セーフティー
ネットとして制限等である。この中では特に③の予防原則はやや微妙なニュアンスの違いがあるものの、いわば“疑わしきは規制へ”のことで、「科学的データがないことを理由に、法規制の制定を妨げてはいけない」という原則であるが、ともすると環境保護団体等による過大な適用要請の根拠となっている。

(2)認可と高懸念物質(SVHC)
REACHの目標はヒトや環境に好ましくない化学物質は早期に代替品を開発し安全な物質に切り替えることであり、そのことはまた欧州の産業競争力を高める効果を期待しているものである。その手法として、SVHC候補物質をリスト化し、その中から順次認可対象物質を特定し、厳しい認可審査を経て合理的理由がなければ製造・使用(輸入品は非対象)を禁止する日没日(Sunset Date)を定めることになっている。
既にREACH規制施行前に動物実験等で①発がん性、変異原性、生殖毒性(CMR)、②難分解性、生物蓄積性、毒性(PBT、vPvB)を示して分類された約1,500物質の他にそれと同等レベルの影響が懸念される内分泌かく乱性のような物質(SVHC)から順次欧州化学品庁(ECHA)や加盟国(MS)が提案し、所定の手続きを経て認可対象物質となったものがREACHの附属書ⅩⅣに収載される。

(3)デンマークによるフタル酸エステル類制限提案
2011年4月デンマークから「DEHP、BBP、DBP、DIBPの4種のフタレートを単独または混合物として0.1%を超える濃度で含む室内用途を意図した製品及び皮膚、又は粘膜に直接接触する可能性のある製品について上市を禁止する」制限案がECHAへ提出された。
この提案には以下の根源的(素朴な)疑問がある。
① 何故フタル酸エステル類が認可対象物質の第1番目になったか
② 何故デンマークが提案したか
③ 何故2011年4月のタイミングで提案したか
④ 何を根拠に制限をしようとしたか
⑤ 何がこの制限で影響を受けるのか
各々の疑問に対し以下JPIAの考えを述べる。

①フタル酸エステルを含有した製品は日常生活に多く存在する(日用品、カーペット、家具、衣料品等)。更にSVHCに分類されたのはあくまで動物実験(ラット)結果からであり、ヒトへの有害性については、必ずしも科学的に立証されていないにもかかわらず、人への有害性(生殖毒性、内分泌かく乱作用、肥満、喘息、糖尿病等々)を示唆する発表が後を絶たず、環境保護団体やNGOの攻撃根拠となり、世界中で最もメディアに晒されている化学物質である。
②デンマークは自国に大きな化学産業がなく制限による関連製品の製造に経済的影響が少ない。北欧系の一員として環境保護団体の力が強く、過去にもフタル酸エステル規制を提案(消しゴム)し、当局より拒否されている。
③当該フタル酸エステルは2011年2月認可対象物質になったが、認可ではSVHC含有輸入製品(Article)を規制することができない。それに対し制限は当該輸入製品の禁止を可能とする。今回の制限提案が採択されれば、最も早いケースで認可申請期限(2013年8月)前に輸入製品(主として中国等から)を禁止することができる。デンマークの制限提案のタイミングは真の狙いが廉価な輸入品阻止にあるように窺える。
同一物質群(4種のフタル酸エステル)に対する認可と制限の重複は弁護士等から法的問題を指摘されている。
④複数の同族体暴露による複合効果(Combined Effect) という新しい概念を導入し、単一物質での暴露量ではリスクが少ないが、混合系ではリスク懸念ありとした。しかも、特定用途(サンダル、消しゴム等)の極端な暴露シナリオに基づく最悪のケースによる過剰な暴露量を根拠にしている。
⑤制限提案成立の影響は計り知れない。先ずは「ブラックリスト化」による最終消費者の使用忌避、「世界の標準規則化」、欧州への輸出減、PVCリサイクルシステムの破綻(反省資源)、代替品の価格上昇(主要代替品候補DINPの原料供給不足)等。
日本の需要家からもコストパーフォーマンスや供給安定性に優れたDEHP擁護の強い行動要請を受けた。

(4)デンマーク制限提案に対してJPIAが実施してきたこと
① ECHAのパブリックコメントに対する意見書提出
主な論点はa)認可と制限の重複、b)リスク評価へ未確定概念(Combined effect)の導入、c)極端な暴露シナリオ、最悪ケースの加算、d)定義や基準値等未確定な内分泌かく乱作用への言及、e)軟質塩ビリサイクルシステムの破綻、f)代替物質の安全性等情報不足。
② 在欧日系ビジネス協議会(JBCE)に加入し意見書提出も含めたロビー活動。
③ 経済産業省、日本化学工業会への支援要請
WTO/TBTでの意思表明、APECでの提言。
④ 塩ビ工業・環境協会(VEC)、日本ビニル工業会と協働(意見書提出)。
⑤ 需要家各工業会へ意見書提出依頼(電線工業会等)
⑥ 海外同業業界へ意見書提出依頼(欧、米、中国、タイ、印、ブラジル、韓国等)。
⑦ 海外同業者(可塑剤メーカーグループ)と協働。
⑧ DEHP毒性の種差を示す試験結果を専門誌へ投稿
ラットの結果はヒトを含む霊長類と異なる内容。
⑤~⑥については一部を除き意見書を提出していただいた。

(5)ECHAにおけるデンマーク提案の検討結果
ECHAでは世界の利害関係者からの意見も参考にして2つの専門委員会(リスク評価<RAC>,社会経済分析
<SEAC>)で検討し、最終結論はRACが2012年6月15日に、「現在のデータは4種のフタレートの複合暴露によるリスクを示さないため、提案制限は正当化されない」とした。SEACは第2次パブリックコメント結果を経て2012年12月7日に「RACの結論を考慮し制限提案を支持する根拠を持たない」とした。
RACの主な根拠は生殖毒性について、疫学研究で人への影響との直接的因果関係が確認できない。リスク評価手法が非現実的過大評価である。既存規制等からヒトへの体内負荷(バイオモニタリング:BM)が減少している等であった。
SEACの主な根拠はRACの指摘要因の他に、欧州市場での当該フタレートの数量減少傾向が明確且つ継続すると予測。制限による不妊効果等の便益が示されていないこと、リサイクル軟質塩ビへの経済的悪影響が懸念されること等であった。
今後ECHAで採決後この意見を、行政執行機関である欧州委員会に提出、ここで欧州理事会や欧州議会へ上程有無が決定され、遅くとも本年3月までに最終的に帰趨が決まる予定である。現時点ではほぼデンマーク提案は拒否される見通しである。

(6)欧州における今後の展望
① DEHPの認可手続き
2013年8月が認可申請期限であるが、欧州フタル酸エステルメーカーのタスクフォースチームが鋭意申請書を作成中であり、認可申請範囲は電線及びケーブル等を含め広範な成形品用途をカバーし、認可取得を確信している。
② Combined effect検討
欧州委員会によると、混合物のリスク評価に当たり「優先混合物」という新概念を創設、リスク評価ワーキンググループを新設し2014,5年までにガイドラインの策定や報告書作成を予定している。
③ 内分泌かく乱(Endocrine Disrupter::EDC)問題
REACH第57条(f)のEDCに対するSVHC要件基準を2013年6月までに結論を出すスケジュールの一環として、各種シンポジウムの開催や報告書公表が実施(予定)されている。この件に関する見解の相違は、産業界が科学的根拠を主張し、化学物質のホルモン様親和性とその、ヒトへの悪影響とを区別すべき、とする一方、NGOや一部科学者は予防原則を根拠に早期の規制を訴えていることである。
6.日本の規制(改正化審法)
2010、11年に日本でも、SAICMの一環として大幅な改正が施行された。

(1)改正化審法の骨子
① 新規、既存化学物質を区別せずリスク評価する。
② 良分解性物質も評価対象とする。
③ 1t/年以上市場に流通している物質に対し、毎年数量・用途の届出義務を課す。
④ 国が「優先評価化学物質」を選定し「段階的に」リスク評価を実施し、一般化学物質と第二種特定化学物質に分類する。
⑤ 「低懸念ポリマー」の概念を導入、高分子化合物の審査を緩和する。
この中で最も注目すべき点は、生分解性良好な物質について、従来の化審法では規制対象外であったが、環境中への暴露が懸念される使用量の多い場合はリスク評価対象とした。
リスク評価はREACHと異なり、国が主導で先ず、一定数量以上の化学物質の中から既存データに基づき、リスク懸念の高い物質を「優先評価化学物質」として指定、更に優先順位を決定して、必要に応じ毒性や暴露情報を収集して詳細なリスク評価を段階的(1次[Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ]、2次)に実施する。このスキームは化学物質取扱者の負担軽減と効率的な懸念物質の特定に特徴が認められる。

(2)改正化審法におけるDEHP
DEHPは最初の優先評価化学物質87物資の1つに指定された。この判断基準は、漏れの無いように、より安全サイドに立ったもので、一般毒性(US EPA水質基準)に基づいているが、次の段階的評価では、一般的リスク評価手法に基づいた厳密な基準やデータから判定される。2012年7月25日の経産省公表によれば、87物質中、次の1次評価Ⅱに進むのは18物質であり、DEHPは当面の間、一次評価Ⅰを継続、優先順位を見直す物質に位置付けられた。
今後、仮に一次評価Ⅱの対象になった場合、毒性基準(無毒性量:NOAEL)の見直しや、暴露量についてもPRTR(化学物質排出移動量登録制度)に基づいた排出源ごとの精密なデータ等の評価により、リスクが広範囲な地域で懸念される状況かどうかを審査し、第二種特定化学物質としての要件の有無が判定される。
優先評価化学物質は順次追加され(2012年12月発表では累計138物質)、今後1000を超す物質が指定されると見込まれる。これら相当数の優先評価物質が順次詳細な評価を受けることになるわけであるが、現時点でDEHPは次の評価に進むか否かも含め最終結論を得る時期は見通せない。但し、次の段階で重要な暴露評価のベースであるPRTRの最新の公表されたデータによれば、DEHPの届出排出量は年々減少し平成22年は74.5t(5年前の約30%)となった(図4)。

図4 DEHPのPRTR届出排出量推移

この数字をベースとすると、排出源ごとのリスク懸念地域は非常に狭くその暴露量もレベルも非常に低いと推定される。

7.おわりに
DEHPに関しては、今後とも国内外の規制動向(化審法、REACH、TSCA)を注視するとともに、世界の関係者(欧州:ECPI、米国ACC PEP、中国増塑剤工業会等)との情報交換を密にし、環境保護団体やNGOの圧力を受けた各国政府の過剰な法規制阻止活動を継続する。
これらの情報に基づいて、お客様には安全に対する理解を深めていただくよう、引き続き最新の情報提供に努めて参る所存である。

参考
*SEAC結論:
http://echa.europa.eu/en/web/guest/view-article/-/journal_content/e14a8add-b03d-4705-95d8-8600b7c5b10c
*優先評価化学物質:
http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kasinhou/information/ra_12072501.html
http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kasinhou/files/yusen_121228.pdf
*DEHP PRTR情報
http://www.safe.nite.go.jp/japan/sougou/view/ComprehensiveInfoDisplay_jp.faces